「マーケティングって、結局なんですか?」
長年、経営コンサルタントとして仕事をしてきましたが、この問いほど答えに詰まる質問はありません。正確に言えば、答えは無数にある。それが問題なのです。
「売れる仕組みづくり」と言えば、なんとなく伝わる。でもそれだけでは、どこか大事なものが抜け落ちてしまう気がする。そんなもどかしさを、この記事では一緒に考えてみたいと思います。
▮なぜ「マーケティング」は日本語にしにくいのか
英語にはあって日本語にない概念というのが、ビジネスの世界にはいくつか存在します。「マーケティング」はその最たるものです。
「市場活動」では狭すぎる。「販促」では表面しか捉えていない。「売れる仕組みづくり」は近いけれど、どこか職人的な匂いがしてしまう。
この「言語化のしにくさ」は、日本人の怠慢ではないと私は思っています。むしろ逆で、日本には言語化するまでもなく商売の知恵が体に染み込んでいた文化があったからではないか。その仮説を、偉人たちの言葉を手がかりに掘り下げてみます。
▮先人たちは「マーケティング」をどう定義したか
20世紀以降、世界中の経営思想家がマーケティングを定義しようとしてきました。その言葉は驚くほど多様で、時に矛盾すらしています。いくつか並べてみましょう。
「マーケティングの目的は、販売を不要にすることである。」
——ピーター・ドラッカー
経営学の巨人ドラッカーは、マーケティングとセールスを対立概念として捉えました。顧客を深く理解すれば、製品は自然に売れる——という逆説的な視点です。「売ろうとすること」と「売れること」は、実は別の話だという指摘です。
「顧客はドリルが欲しいのではなく、穴が欲しいのだ。」
——セオドア・レビット(ハーバード・ビジネス・スクール)
レビットは「マーケティング近視眼」という概念を提唱しました。製品ではなく、顧客が本当に求めている結果を起点にせよ、という定義です。これは今日でも色褪せない洞察です。
「マーケティングとは、認知の戦争である。製品の戦争ではない。」
——アル・ライズ&ジャック・トラウト
ポジショニング理論の創始者たちは、市場は現実ではなく「顧客の頭の中」にあると言いました。品質よりも「どう認識されるか」が勝負を決める、という視点です。
「マーケティングとは、変化をもたらすことだ。人々が求める変化を、意図的に起こすことである。」
——セス・ゴーディン
現代の思想家ゴーディンは、マスへの訴求を捨て、共鳴する少数へ深く届けることを提唱しました。「伝える」ではなく「変える」という定義は、SNS時代の今こそ響きます。
こうして並べてみると、定義の数だけ「何を中心に置くか」が違うことがわかります。顧客理解なのか、認知なのか、変化なのか。マーケティングという言葉は、それほど多面的な概念なのです。
▮実は日本にはすでにあった
ここで少し立ち止まって考えてみると、面白いことに気づきます。
欧米で20世紀に「理論化」されたマーケティングの多くが、日本ではとっくの昔に商人の慣習として実行されていたのです。
江戸時代の商人たちは「のれん」を命がけで守りました。それはブランド管理そのものです。「評判(ひょうばん)」は口コミマーケティングの原型。「おまけ」は顧客体験設計でした。
ではなぜ、日本ではそれが「マーケティング」と呼ばれなかったのか。
答えはシンプルです。理論化する必要がなかったからです。武道が「道(どう)」として体に刻まれるように、商売の知恵も修行・見習い・職人の倫理として伝承されてきた。言葉にしなくても、体が知っていた。
その象徴が、次の6つの概念です。
| 日本の概念 | 欧米マーケティング用語に置き換えると |
|---|---|
| おもてなし | カスタマー・ディライト(期待を超える体験設計) |
| 口コミ・評判 | バイラルマーケティング・UGC |
| カイゼン | リテンションマーケティング・プロダクト改善 |
| 間(ま) | インバウンドマーケティング(引き寄せ型) |
| 義理・人情 | リレーションシップマーケティング・LTV向上 |
| 旬(しゅん) | タイミングマーケティング・季節需要設計 |
言葉は違う。でも本質は同じ、あるいは日本のほうが深いところまで実行されていた。そう気づくと、マーケティングという概念の見え方が少し変わってきます。
▮デジタル時代との「摩擦」はなぜ起きるのか
問題は、現代です。
インターネット、SNS、そしてAI。デジタルマーケティングの設計思想は、ほぼすべて欧米から輸入されています。クリック率、コンバージョン率、A/Bテスト。数字で最適化し、自動化し、スケールする。
これを日本市場にそのまま当てはめると、ある感覚が生まれます。
「なんか、押しつけがましい。」
「冷たい感じがする。」
この違和感の正体は何でしょうか。
一言で言えば、「間(ま)」の欠如です。日本の商売には、売り込まない間合いがありました。相手が「欲しい」と感じるまで待てる余裕がありました。ところがデジタルのアルゴリズムは「接触頻度を上げる」方向に最適化されます。リターゲティング広告が追いかけてくる。メールが毎日届く。「間」がない。
あるいは、AIが生成する文章の問題もあります。論理的で整っているけれど、どこか体温がない。それもそのはず、AIは欧米的マーケティングの文法で学習されているからです。
▮ミスマッチを解消するための視点
では、どうすればよいのか。私が考えるヒントをいくつか挙げます。
「売る投稿」と「関係を温める投稿」の比率を意識する
SNSで「売る投稿」ばかりしていると、フォロワーは離れます。日本の受け手は特に敏感です。「7対3」で関係を温めることを優先する——それだけで反応が変わります。
AIには「余白のある語尾」を指示する
AIに文章を生成させるとき、「〜ではないでしょうか」「〜かもしれません」という言い回しを使うよう指示するだけで、押しつけがましさが消えます。断言より問いかけ。これは日本語の繊細な特性です。
タイミングの設計を怠らない
「旬」の感覚をコンテンツカレンダーに組み込む。桜の季節、夏の入り口、年の変わり目。日本人は季節の変化に無意識に反応します。グローバルツールが無視しがちなこの感覚を、意図的に設計に入れることが差別化になります。
自動化した後に「人の気配」を残す
自動返信メールでも「先日はありがとうございました」の一言があるかどうか。CRMで誕生日を管理していても「覚えていてくれた」と感じさせる言葉遣いができるかどうか。オペレーションは自動化しても、言葉の温度は人間が設計する。
▮「効率化すべきはオペレーション、関係性ではない」
効率化すべきはオペレーションであって、関係性ではない。
この一言に、私はデジタル時代の日本的マーケティングの本質が凝縮されていると思っています。
AIやツールを使って作業を速くすることは、どんどんやればいい。しかし顧客との関係性——誰に届けるか、どんな言葉で語りかけるか、どのタイミングで近づくか——その設計だけは、人間が考え続けなければならない。
デジタルが進めば進むほど、人の気配を感じさせる設計ができるブランドが、圧倒的な差別化を持つ時代になっていきます。これは日本的な感性を持つ私たちにとって、本来、得意なはずのことです。
▮おわりに:言語化することの意味
冒頭の問いに戻ります。「マーケティングって、結局なんですか?」
今の私の答えはこうです。
マーケティングとは、
「誰かの生活が少しよくなる瞬間を、意図的に設計する活動」
ではないか。そしてその設計に必要なのは、欧米の理論を輸入することではなく、日本人がすでに体の中に持っている商売の勘を——言語化し、再現可能な形に整えること——ではないかと思っています。
今日の記事を通じて「自分もこういう感覚を持っていた」と感じてくれた方がいれば、それがこの問いの一つの答えになります。
あなたの商売の中に、まだ言語化されていないマーケティングの知恵が眠っていませんか。
「机上の空論より、実践できる最善の策」
ではでは、Enjoy your life.
関連動画1:https://youtu.be/2V11DUVD1S0
関連動画2:https://youtu.be/VRdwIdBZ_r4
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