こちら記事では、私たちがポテトチップスやSNSを「やめられない」理由について、進化生物学の視点から考えてみました。意志が弱いのではなく、人間の脳がそもそも現代社会の誘惑に耐えられるように「設計」されていないのだ、というお話です。
それなら、意志の力に頼るのではなく、本能に沿った「環境」をデザインすればいい。
そうやって、私たちは良くも悪くも、自分の周りの環境に適応しながら生き抜いてきました。
太古の昔から続く、この「適応」という生存戦略。 しかし、テクノロジーがこれまでにないスピードで進化している現代において、私たちが社会や環境に合わせて変化していくことは、本当に「進化」と呼べるものなのでしょうか。
今回は、そんな変化の先にある私たちの姿について、少し空想的に、気まぐれに考えてみました。
人は良くも悪くも、環境に適応していく生き物なのだろうな、とつくづく思います 。
太古の昔から、私たちは自然環境に適合するように生きてきました 。それはごく当たり前のことのようですが、現代の私たちが適応しているのは、自然だけではありません。身の回りのテクノロジーや社会の変化に影響されて、私たちのライフスタイルもまた、どんどん形を変えています 。
例えば、かつては人間の力仕事だったものが機械に置き換わり、気付けば私たちの筋力はだんだんと衰えてきました 。これは進化なのでしょうか、それとも「退化」と呼ぶべきなのでしょうか 。
同じように、筆やペンで文字を書く機会はタイピングに取って代わられ 、電卓の普及によって筆算やそろばんといった、かつては当たり前にできていたことが少しずつできなくなっていきます 。伝統的な職人の技術なども、こうして静かに受け継がれなくなっていくのかもしれません 。
私たちは便利で快適なものを手に入れるたびに、自分自身のどこかの機能をお留守にし、劣化させているのかもしれない、ふと、そんな風に思えてくるのです 。
「賢さ」の価値が変わる時代
そして今、私たちはAIの急速な発展を目の当たりにしています 。 知識はすでに自分の外側に溢れていて、検索すればすぐに手に入る時代です 。さらに一歩進んで、いまや「考えること」そのものをAIに依存し始めている私たちは、もしかしたら少しずつ退化している(あるいは、ちょっとバカになっていっている)のではないか、という不安が頭をよぎることがあります 。
これから生まれてくる子どもたちは、いわゆる「AIネイティブ」です 。何もかもをAIに考えてもらうことが、彼らにとっての日常になるのかもしれません 。
少し視点を変えて、人間の「リーダー像」の歴史を振り返ってみます 。
- かつて(遠い昔): 腕っぷしが強く、力持ちな人がリーダーだった時代
- 現代社会: 知力や知識が豊富な人がリーダーシップを発揮する時代
もしこの流れが合っているとするなら、これからの未来はどうなるのでしょうか。 AIの普及によって、今後は人間の「知力」の差異がほとんどなくなっていくのではないか、と考えられます 。つまり、「ただ賢い人である」というだけでは、強みにならない時代がやってくるのかもしれません 。知識や知力に違いがあったとしても、その差が結果の差には結びつかなくなっていくのだろうな、と 。
では、何が人と人とを繋ぐ指標になるのか。 あえて言うならば、それは「いい人かどうか」という、とてもシンプルな、けれど数値化できない部分に変わっていくのではないでしょうか 。
人間関係の微妙な距離感や、AIには絶対に分かり得ないその場の「空気感」のようなもの。それらを感じ取る能力こそが、これからの時代に最も大切なものになっていくのかもしれません 。
追いつけない脳、そして社会の限界
最近はAIとチャットで対話する機会が増えました 。自然な言葉で会話ができるようになればなるほど、私たちはどうしてもAIを擬人化したくなってしまいます 。しかしその結果、私たちの判断力や思考能力といった「人間特有の力」自体が、じわじわと弱まってしまうのではないかという危惧もあります 。
AIがどう進化するかと同じくらい、私たち人間がどう変化していくのかは、とても重たいテーマになりそうです 。
この変化を進化と呼ぶなら、それはそれで良いのかもしれません 。 昔の人ができたことを、今の私たちはもうできません 。それと同じように、未来の人たちにとっては、今私たちが当たり前にできていることができなくなっているのでしょう 。
人間社会の仕組みはどんどん変わっていきますが、生き物としての人類は、そこまで急には変われません 。社会変化のスピードが速ければ速いほど、私たちの脳みそは追いつけなくなっているのだと思います 。
今はまだ過渡期だから、古い仕組みでもなんとか耐えられているのかもしれません 。けれど間もなく、あるいは近い将来に限界が来るような気がしてなりません 。産業のカタチだけでなく、経済構造や資本主義という仕組みそのものが機能しなくなり、お金というもの自体が意味を持たなくなる世界の足音が、少しずつ聞こえているような気さえします 。
「生命体」として、たくましく生きるということ
そんな変化の激しい時代の中で、私自身は「人間らしく生き、人間らしく死にたい」と痛感しています 。
そのために、自分の生命力だけで生きていけるような、そんなオフグリッドなライフスタイルを日々妄想しています 。準備することは山ほどありますが、「生命体として生きる」というテーマだけにフォーカスし、たくましく生きてみたいのです 。
便利さに甘やかされ、すでにボケてしまったかもしれない自分自身のセンサーを、もう一度鋭敏にすること 。あらゆる刺激をキャッチできるよう、感覚を研ぎ澄まして日々を過ごしてみたいと思っています 。
正解のない時代だからこそ、こんな風に、ちょっと立ち止まって考えてみる。 もし、同じような価値観で生きてみたいと思う方がいらっしゃれば、ぜひ言葉を交わし、価値観を共有できたら嬉しいなと思っています 。
みなさんは、この便利すぎる世界の先にある私たちの姿を、どんな風に想像しますか?
ではでは、Enjoy your life.
