念仏ではない、夢への一歩

浄土真宗は、つらい修行を経てやっとの思いで成仏できる「それまでの宗教」を「南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)」と唱えれば誰でも極楽浄土に行けますよ!っとものすごく簡単にして一気に拡がったのだとに安直に考えていますw。宗教の話を書くつもりではありませんから軽く読み飛ばしてください。

これ今風に考えると「頑張らなくていいですよ、そのままで大丈夫」て感じでお気楽に声をかけてくれる人達の好感度が一気に上がる様子と似てるかな?と感じます。

成功するために、または成長するために、「つらい思いをして頑張る」のは成功者たちの表現としてもよく聞きます、しかし実際はどうなのでしょう?

社会環境が変化し、失われた30年と言われる現代社会ではどんなに頑張っても無理なテーマもあるでしょう。同時にほんの少し勇気を出して挑戦すれば「なんとかなるテーマ」もあります。

あなたはどちらを選択しますか?

そもそも「つらい思いをして頑張る」修行のような生き方を誰もしたいとは思いませんよね?しかし幸せになりたい気持ちは誰にでもあると思います。この時点で前提が「いま幸せを感じていない」あるいは「もっと幸せになりたい」ということですけど。

漠然とした願望では頑張れない

「○○だったらいいなぁ…」という思いは誰にでも沸き起こることです。凡人の私は毎日思います^^;  「○○だったらいいなぁ…(でも大変そうだなぁ…)」と心のなかで呟いてしまうとそのままです。本当に心底実現したいなら大変そうとか、辛そうとか考えるでしょうか?

内面の中心から沸き起こる願望はこんな修行のような思考は入り込む余地すら無いと考えましょう!好きなこと、やりたいことを実行する時は他人が見たら「大変そうな事柄」でも、本人はそれを意気揚々とやってしまうものです。さらに言えば「楽しんで」活動しています。

私達が、超ご機嫌で絶好調に生きるためには「独自の素敵な夢」が必須なのです。夢が明確なら日々が楽しく彩り鮮やかに過ごせるはずです。もし、今あなたが霞がかかったような日々を過ごしているなら「素敵な夢」を描いてみましょう!

素敵な夢を描く時、諸条件は一切関係なし

時間がない、お金がない、経験がない…とできない条件がたくさん浮かんでくるならそれは「言い訳」です、そして心底実現したい素敵な夢ではなく、願望のままです。「これで良いのだ」と念仏のごとく唱えるほうが気楽になります。そして受け身の生き方になってしまいます。悪いことではないし、間違っているわけでもありません。ただ自分から何も変化を起こせないはずです。

イマカラ・ココカラ・ジブンカラ

誰かに言われて実行するのは義務感や責任感で活動すること多いです。他方、自分で描いた夢に向かうのは楽しいことです。あなたの感覚はとても自由になり開放されるはずです。

少し宣伝っぽくなりますがIBS会員の人達は(多少時間がかかる人もいますが)視界がクリアになり毎日楽しんでいるように見受けられます。夢に向かっている人達はパワフルでイキイキしています、見ていて気持ちが良いです。ありがたいことです。

ほんの数分、または数時間、自分一人の時間をとり、人生を彩り豊かにする夢を描きましょう!

ではでは、Enjoy your life !!

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