先日、机の周りを片づけていたら、「諦めると開き直るの違い」という走り書きのメモが出てきました。いつ、何を考えて書き留めたのかは覚えていません。ただ、読み返しているうちに、身近な人たちの顔がいくつも思い浮かんできました。
どちらも、何かを手放す行為です。けれど、手放し方がまるで違います。諦めるときは、静かに視線を伏せて後ろに引きます。開き直るときは、逆に視線を上げて前に出ます。同じ「手放す」という動作の中に、正反対の方向が隠れているのです。
普段の会話では、この二つはあまり区別されずに使われている気がします。「もう諦めた」も「もう開き直った」も、なんとなく似たようなニュアンスで口にしてしまいがちです。けれど、いざ自分の生活を振り返ってみると、この二つを取り違えたことで、うまくいくはずだったことが遠回りになった経験が、誰にでも一つや二つあるのではないでしょうか。
諦めるということ
「諦める」は、「明らめる」という言葉から来ているのだそうです。事情を明らかにする、という意味です。
だから本来は、感情に任せて放り出すこととは違います。状況をよく見て、目指していたものを手放し、静かに引く。そういう行為です。
私の身近にも、こんな話があります。学生時代からずっとピアノを習っていた友人が、社会人になって数年たったころ、「もうコンクールを目指すのはやめる」と言いました。練習時間を作るのが難しくなり、上達の伸びしろも、若いころのようには感じられなくなっていたそうです。彼女はしばらく落ち込んでいましたが、やがて「毎日仕事終わりに好きな曲を弾くだけで十分楽しい」と話すようになりました。
目標を手放したことで、ピアノそのものへの愛着まで消えたわけではありませんでした。むしろ勝ち負けから解放されて、鍵盤に向かう時間そのものが軽くなったように見えました。これが、健全な「諦め」の姿だと思います。
もう一つ、思い出す話があります。長年付き合っていた恋人と別れた友人は、しばらくは「もう一度やり直せるかもしれない」と連絡を取り続けていました。けれどある日、相手の近況をふとしたきっかけで知り、「ああ、もう戻らないんだな」と、感情ではなく事実として腹に落ちた瞬間があったそうです。そこから彼女は、連絡するのをやめました。無理に忘れようとしたのではなく、事情を明らかにした上で、静かに手を引いたのです。
体型を気にして厳しい糖質制限を続けていた知人は、体調を崩してから、極端なダイエットそのものを諦めました。「一気に痩せることは諦めて、その代わりに、毎日十五分だけ歩くことを続けよう」と方針を変えたそうです。数字だけを追いかけていたころよりも、続けやすくなったし、何より気持ちが楽になったと話していました。目的を諦めることは、努力そのものをやめることとは違うのだと、彼女の話を聞いて気づかされました。
諦めるということ、その裏側
一方で、諦めが逃避にすり替わる瞬間もあります。部屋の片づけを「今日はやる気が出ないから」と先延ばしにし続けているうちに、いつのまにか「もうどうせ片づかない部屋だから」という、投げやりな状態になってしまうことがあります。これは、事情を明らかにしないまま、ただ目を逸らしているだけの状態です。
資格試験の勉強を始めたものの、思うように点数が伸びず、「自分には才能がないんだ」と早々に匙を投げてしまう人もいます。本当はやり方を変えれば伸びる余地があったかもしれないのに、検討すること自体をやめてしまう。これもまた、健全な諦めとは似て非なるものです。
見分け方は、案外シンプルです。「なぜ手放すのか」を、自分の言葉で説明できるかどうか。ピアノをやめた友人も、ダイエットの方針を変えた知人も、何がうまくいかなかったのかを自分なりに言葉にできていました。一方で、逃避としての諦めは、たいてい「なんとなく」「どうせ」という言葉で片づけられてしまいます。理由を説明できない手放し方には、少し立ち止まってみる価値があるのだと思います。
誰かに「もう諦めたら」と声をかけられたときも、この違いを思い出すようにしています。相手が見ているのは、こちらが状況を明らかにできているかどうかであって、頑張りが足りないと責めているわけではないことが、ほとんどだからです。素直に事情を話してみると、案外あっさり「それなら仕方ないね」と納得してもらえたりするものです。
開き直るということ
「開き直る」は、構え直す、態度をあらためて堂々とする、という意味の言葉です。恥や他人の評価への恐れを手放して、もう一度前に出ていく行為です。
これも、身近な場面でよく起こります。友人の結婚式の二次会で余興を頼まれたAさんは、歌がまったく得意ではありませんでした。何度も断っていたのですが、当日になって「もう下手でもいいや、精一杯やろう」と腹をくくってマイクを握りました。音程はところどころ外れていましたが、会場は笑いと拍手に包まれ、その場にいた誰よりも記憶に残る余興になったそうです。
うまく見せようとする気持ちを手放した瞬間に、かえって場の空気が動く。これは、開き直りが持つ不思議な力だと思います。
個人的な体験を、ひとつ書き添えておきます。経営コンサルタントとして、初めて300人ほどの経営者を前にスピーチをした日のことを、今でもよく覚えています。当時、私は28歳でした。
2時間の講演にふさわしい原稿を用意し、何度も練習を重ねて本番に臨みました。ところが、いざ壇上に立ち、演台の前で話し始めようとした瞬間、頭の中が真っ白になってしまったのです。
用意してきた原稿のことは、もうどうでもよくなりました。開き直って、自分の中にある普段からの思いを、飾らずに情熱を込めて話すことにしたのです。会場からは何度も笑いが起こりましたが、それでも非常に好評な講演会だったと、今でも記憶に残っています。
開き直るということ、その裏側
ただし、開き直りにも危うい顔があります。友人との言い合いで自分の非を指摘されたとき、「じゃあもう好きにすれば」と投げやりに突き放してしまうことがあります。これは開き直りではなく、ただの逆ギレです。
職場でミスを指摘された同僚が、「そもそも説明が足りなかったのはそっちだ」と話をすり替えて強気に押し通す場面を見たこともあります。恐れを手放した先に何を差し出すかによって、同じ「腹をくくる」という言葉でも、まったく別のものになってしまうのです。壇上で開き直った私が差し出したのは、飾らない自分自身の思いでした。しかし逆ギレする人が差し出しているのは、都合の悪い事実に蓋をしたままの、ただの強気な態度にすぎません。
差し出すものが自分の弱さなのか、それとも相手への責任転嫁なのか。開き直りと逆ギレを分けるのは、その一点だけなのだと思います。
二つが重なるとき
面白いのは、この二つが一続きの流れとして働く場面があることです。
長年勤めた会社を辞め、まったく畑違いの仕事に転職したBさんの話を聞いたことがあります。「これまで積み上げてきたキャリアを、ここで一度手放す」と諦めたからこそ、「今さら周りにどう思われてもいい」と開き直って、新しい分野に飛び込むことができたのだそうです。諦めきれないまま中途半端に新しいことへ手を出しても、きっとうまくいかなかっただろうと彼は振り返っていました。
古いものを静かに手放したあとに、恥を捨てて新しいものへ踏み出す。順番を間違えなければ、この二つはとても相性のいい組み合わせになるのだと思います。
引っ越しをきっかけに、地元の友人関係が自然と疎遠になっていったという話も、似た構造をしています。無理に今までの関係を維持しようと頑張るのを諦めたことで、はじめて新しい土地で「知り合いがいなくても、また一から作ればいい」と開き直り、地域のサークルに飛び込むことができた、という知人がいました。もし古い関係を諦めきれないまま新しい場所に馴染もうとしていたら、きっとどちらも中途半端になっていたはずだと本人も振り返っています。
反対に、諦めるだけで開き直る勇気が持てないと、手放したもののあとに何も残らず、ただ寂しさだけが残ってしまうこともあります。逆に、諦めきれないまま開き直ろうとすると、心のどこかで未練を引きずったまま無理に前へ出ることになり、長続きしません。この二つは、片方だけでは足りないもののように思えます。
考えてみれば、子どもの成長を見守る親の姿にも、同じことが言えるのかもしれません。手取り足取り世話を焼くやり方をどこかで諦め、その上で「あとは本人に任せよう」と開き直ることで、初めて子どもは自分の足で歩き出せるようになる。そんな話を、子育て中の友人から聞いたこともあります。手放すという行為は、いつも何かを失うだけのものではなく、次の誰か、あるいは次の自分に、場所を譲る行為でもあるのだと思います。
おわりに
メモに書かれていた「撤退ラインを決めて損切りするのが諦める、最悪のシナリオを呑んだ上で捨て身の攻めに出るのが開き直る」という一文を、あらためて読み返してみます。ビジネスの場面を想定した言葉ではありますが、これはきっと、日々の暮らしの中でも同じように起きていることなのでしょう。
机の隅から出てきた一枚のメモが、思いのほか多くのことを思い出させてくれました。今、何かを手放そうとしている人がいるなら、それが静かに引くべき諦めなのか、腹をくくって前に出るべき開き直りなのか、一度だけ立ち止まって、自分の言葉で確かめてみてほしいと思います。答えは、きっと自分の中にすでにあるはずです。
経営コンサルタントとして40年以上、数えきれないほどの決断の場面に立ち会ってきました。会社を続けるか畳むか、勝負に出るか身を引くか。突き詰めれば、そのどれもが「諦める」と「開き直る」のどちらを選ぶかという、とてもシンプルな問いに行き着きます。
日々の暮らしの中の小さな選択も、本質は同じなのだと思います。今日、何かを静かに手放すのか、それとも腹をくくって前に出るのか。その選択の積み重ねが、いつかの自分をつくっていくのでしょう。ではでは、Enjoy your life.
