電卓とAIと情緒を中心に置く生き方

経営思想 / AI時代の生き方
そろばん・電卓・AI ― 道具が進化するほど、人にしかできないことがはっきりしてくる

今日は少し不思議な問いから始めたいと思います。もしそろばんも電卓もAIもない世界に戻されたら、あなたは自分の頭だけで、どこまで考えられるでしょうか。

そろばんから電卓、そしてAIへ

日本には昔、そろばんという道具がありました。パチパチと珠を弾きながら、指先の感覚で数字を組み立てていく道具です。塾に通って何年もかけて級を取り、暗算の速さを競う。そういう文化が、かつてこの国にはありました。私自身も小学生の頃にそろばん塾に通い、6年生のときには1級を取得しました。あの頃、指先が覚えていた感覚は、今でもうっすらと残っています。

そのあと電卓が登場し、ボタンを押すだけで答えが表示されるようになりました。そろばんの練習は不要になり、誰でも一瞬で正確な計算ができるようになったのです。そして今、私たちの手元にはAIがあります。文章を打ち込むだけで、計算はもちろん、企画書も、資料の要約も、答えらしきものまでも返ってきます。

そろばんも、電卓も、AIも、実はやっていることの本質は同じです。何かを「入力」して、何かが「出力」される。これだけです。マルチモーダル、つまり入力の仕方が音声であったり画像であったりという違いがあるだけです。アウトプットの見た目がどれだけリッチになったとしても、入力と出力という構造そのものは、何百年経っても変わっていません。変わったのは、その間にある過程がどんどん見えなくなっていることです。

便利になるほど失っているもの

続けて、道具が便利になるほど、私たちが手放してきたものについて考えてみます。そろばんの時代、人は指先の感覚で数字を覚えました。電卓の時代、人はボタンの位置で計算式を組み立てました。スーパーのレジ打ちの方々にも、同じ変化が起きています。昔は値札を見て、手元を見ずに金額を打ち込んでいました。今はバーコードをスキャンするだけです。

そしてAIの時代、人は問いかけの言葉ひとつで結果を受け取るようになりました。便利になるたびに、私たちは何かを差し出してきたのです。これは失敗でも後退でもなく、進化に必ずついてくる代償だと捉えてください。もっと残酷な言い方をすれば、退化したということになります。

たとえば、計算する力です。電卓があれば、暗算をする機会は自然に減ります。たとえば、漢字を書く力です。スマートフォンが勝手に変換してくれるので、手で書く場面が少なくなります。会議の資料を見返して、簡単な漢字が思い出せずに手が止まった、という経験をお持ちの経営者の方も多いのではないでしょうか。ホワイトボードに要点を書こうとした瞬間、簡単な漢字がふっと出てこず、あたふたしてしまった――そんな場面に心当たりのある方もいらっしゃるはずです。電話番号を誰も覚えなくなったのも、同じ流れの中にあります。昔は自宅や会社の番号はもちろん、友人や親しい人の電話番号まで、手帳にメモしておくだけでなく、語呂合わせをつくって頭の中に刻み込むほどの工夫をしていたものです。

そして今、AIによって、考えるという行為そのものまでも代行されるようになってきました。企画の骨子を考えるのも、決断の理由づけを整理するのも、AIに頼めば数秒で出てきます。これは決して大げさな話ではなく、日々の小さな選択の積み重ねが、じわじわと私たちの筋力を奪っているということなのです。

ナビゲーションに学ぶ、使わない力の行方

身近な例で考えてみます。カーナビでも、スマートフォンの地図アプリでも構いません。ナビゲーションを思い浮かべてください。登場する前、人は大きな地図帳を引っ張り出し、行きたい目的地の周辺ページをコピーして持ち歩いていました。地図を頭に入れて、目印になる建物や景色を覚えながら目的地に向かっていたのです。

今は音声の案内に従うだけで、迷わず到着できます。とても便利です。ですが、案内なしで同じ道を進んでくださいと言われたら、迷ってしまう方も少なくないはずです。道を「覚える力」は、使わなければ静かに衰えていきます。

これは会社の中でも起きています。企画書の叩き台をAIに任せきりにしている若手社員が、ある日突然「自分の言葉で説明してください」と言われて言葉に詰まる場面を、見たことがある方もいらっしゃるのではないでしょうか。上司であるあなた自身も例外ではありません。AIに考える作業を任せ続ければ、いつの間にか自分の頭で結論を出す筋力が落ちていきます。便利な道具は、使う人を賢くすることもあれば、静かに手足を縛ることもあるのです。

AIも、ナビゲーションとまったく同じ構造を持っています。考える作業をAIに預け続ければ、自分で考える力は少しずつ薄れていきます。これは良い悪いという単純な話ではなく、道具の性質として、そうなるというだけのことです。だからこそ、何を任せて、何を自分の中に残すのかを、意識的に選ぶ必要があります。

AIに任せられないもの、それは情緒

ここからが、今回いちばんお伝えしたいことです。道具がどれだけ進化しても、AIに代わりを頼めないものがあります。それは、情緒です。誰かの言葉に胸が熱くなること、夕焼けを見て理由もなく懐かしさを覚えること、部下のふとした表情の変化に気づいて、そっと声をかけること。これらは、入力すれば出力される、という構造には乗らないものです。

人間には、誰かに肩を叩かれたときの温度や、転んだときの痛みのような、身体で受け取る感覚があります。そして、怒り、悲しみ、寂しさ、ありがたみ、誇らしさといった、数え切れないほど多様な情緒があります。この身体の感覚と情緒の豊かさが幾重にも折り重なって、初めて「人間らしさ」というものが立ち上がってきます。AIは痛みを感じませんし、ありがたみに胸を熱くすることもありません。だからこそ、この領域は最後まで私たちにしか担えない、と言い切れるのです。

計算や文章の生成は、AIが得意とする領域です。過去のデータをもとに、最適解らしきものを瞬時に示してくれます。ですが、何を美しいと感じるか、何に心を揺さぶられるか、誰のために踏ん張るか――という部分は、AIがどれほど賢くなっても、人間の内側にしか生まれません。ここに、私たちの本当の価値があります。

以前、ある取引先の社長から聞いた話があります。長年つき合いのあった業者を、条件がわずかに良いという理由だけで乗り換えることは、最後までしなかったそうです。数字だけで見れば非合理な判断です。ですが、その社長は「あの人が困っていたとき、うちを支えてくれた。その恩は数字では測れない」と話していました。

これこそが情緒です。AIにいくら発注先の比較検討をさせても、こうした判断は出てきません。経営という仕事に置き換えると、これはとても実感しやすい話です。数字を分析して最適な戦略を導き出すことは、これからますますAIが担っていきます。ですが、社員が本気で頑張りたいと思える理由をつくること、取引先の担当者が長年あなたを信頼してくれる理由をつくること――これらはすべて情緒の領域です。データではなく、心の動きが動かしているのです。

情緒を中心に据える生き方

最後に、今日から実践できる考え方をご提案します。これからの時代、経営者やリーダーに求められるのは、AIより速く計算することでも、AIより正確な答えを出すことでもありません。むしろ、AIが担える領域はどんどん任せてしまってかまいません。その代わりに、自分自身の情緒の感度を意識的に保つことを、判断の中心に置いてください。うまく言葉にするのは難しいのですが、心の中にある感覚的なセンサー、あるいは人の気持ちに寄り添う共感力のようなもの、と言い換えてもいいかもしれません。この感度を高く保っておくことが、これからのリーダーにとっての基礎体力になります。

効率はAIに任せ、情緒は自分の真ん中に据える。この配分こそが、これからの時代のリーダーシップだと、私は考えています。今日から、数字の前に、まず心の動きに目を向けてみてください。

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今回の提案事項

今日から取り入れられる実践的なアクションを、二つご紹介します。

提案 01
一日一度、心の動きに意識を向ける時間をつくる

数字や効率から離れて、人の表情や声のトーン、季節の移ろいに意識を向ける時間を、一日のうちに一度つくってみてください。通勤の合間に空を見上げる、部下と何気ない話で笑い合う、家に帰って家族の些細な変化に気づく。そうした一見無駄に思える時間こそが、これからの時代にあなたにしか出せない価値の源泉になります。

提案 02
週に一度、デジタル機器を手放して紙に考えを書き出す

週に一度でかまいません。AIを一切使わずに、スマートフォンも携帯端末もカメラも手放し、充電が必要なものを何ひとつ持たない状態で、数時間だけでも過ごしてみてください。そのうえで、手で紙に考えを書き出す時間をつくってみてください。そろばんの珠を弾いていた頃の感覚を、言葉に置き換える作業だと思ってください。効率は落ちますが、そこで動いた心の手触りが、あなたの判断の芯になります。

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編集後記

そろばんから電卓、そしてAIへ。時代とともに手放してきた「力」は数えきれません。それでも、経営コンサルタントとして40年以上、数え切れないほどの経営判断の場に立ち会ってきましたが、最後に会社を動かすのはいつも、数字ではなく人の心でした。AIにどれだけ多くの判断を委ねられるようになっても、情緒を手放さないでいることが、これからのリーダーの一番の仕事になるのだと思います。ではでは、Enjoy your life.