「価値観」の共有と「社会」の変化

全ての表現は限定された意見であり特定の視点でしかない、真実には、表現されない、または表現できない「何か」が必ず含まてれている。それでもなお、共感できたり合意できるのは素晴らしい。

個人や集団が持つ固有の価値観は意識的に表現できる内容以上に無意識の領域にまで達していることだろう。決して表層に現れることのない領域が本当に存在しているのかどうかすら不明である。しかしその不可思議な領域が存在していると仮定するほうが私達は安定し安心する。なんと頼りない存在基盤。それが人間という生き物なのかも知れない。だからこそ個ではなく集団としてコミュニティを形成し自己の存在基盤を確認する生き方が有用なのだろう。

私達が生きていく上で必要なのは価値観の共有や合意。インターネットが世界中をつなぐ現在、SNSで身近に、そしてお手軽に誰もが自分の価値観を発信・受信し共有できる相手を探し、共感できる仲間を求めることができる。寝食を忘れ、小さい液晶画面を見ながら自分の指が勝手に動いてるかの様な時間の過ごし方を経験した人は少なからず居るはずだ。これはもはや生存本能なのだ。

だからこそ、「全ての表現は限定された意見であり特定の視点でしかない、真実には表現されない、または表現できない「何か」が必ず含まてれている。それでもなお、共感できたり合意できるのは素晴らしい」これを忘れてはならない気がする。

NEWSになる話題、もみ消される話題、芸能人のゴシップや政治家の醜態、企業の不正や不祥事…。何も国内だけにとどまらない、世界中で事実と真実が複雑に絡み合いながら伝播している現代社会において私達一人ひとりが傍観者のままで居ることは不可能だろう。強弱はあれど必ず影響を受けるし、与えることもできる。一人ですべての人に影響を与えることはできない。しかし、すべての人は一人になら影響を与えることはできるはず、まずは身近な誰かと価値観を分かち合い、共有し共感できるように生きることができたら世界は変わるかも知れない。

と、こんなことをもっと厳密にそして精緻に考え、実践していた歴史上の偉人たちは居たはずだ。そして有名無名を問わず実践に参加した大勢の人達の活動の結果が現代の姿なのだろう。社会システムを構築しているのも、そのシステムを運用しているのも私達なのだから。

ではでは、Enjoy your life !!

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