失意の中の光

私の好きな言葉に「大丈夫」というのがあります。大丈夫、大丈夫!と誰にでも言います。というのも多くの方は心配しすぎか、あるいは細かすぎではないかと思うからです。わからないでも無いですけど、考え過ぎで動きが止まったら事態は何も変わらないだけではなく、心が病んでくるのではないかと…

最悪の事態は何か

最悪の事態を思いっきり想像してみましょう。俗に言うネガティブの極みまで想像してみましょう。命の駆け引き(生きる死ぬの瀬戸際にいる)なら最悪は「死」になります。これとて、特別な信仰では笑って過ごせるのかもしれませんが、肉体的には停止するのでその後のことまで心配しても仕方ないでしょう?(あまり深入りするとスピ系の方に話が流れそうなのでここでは書きません)

生死の境目以外なら、お金を失う、信用がなくなる、似たようなことで友達がいなくなるとか、一人ぼっちになるとか…最悪でも?「社会的存在価値」が失われるだけですよね。悪どいことをすれば自業自得ですから当然です。お金は悪どいことをして儲ける人がいるので残念な社会ですけど。多くの方は悪事を企んでるわけではないでしょう?(笑)

自分の期待に向きあう

夢・希望・目標・期待は全て「欲(望)」です。どれほど崇高なテーマであれ「自分がそうしたい」という原点があるはずです。その願望を叶えるために「行動」を起こし、「結果」が手に入ります。思い通りの結果になることもあれば期待はずれの時もあります。

期待はずれだったとしても「何を失い、何を手に入れたか」を検証すれば次のステップに進むことが可能です、失うといっても「取り戻せる」はずですよね!お金にしろ、信用にしろ程度の差こそあれ、必ず取り戻せます。そもそも期待したのは他ならぬ「自分自身」です。だからこそ、自分の期待に向きあう必要があります。

決して失われない意思

上記の如く、期待はずれで、窮地に陥る時があるかもしれません、生きるのが精一杯という厳しい環境になるかも知れませんが「所詮その程度」です。生活環境や人間関係が様変わりすることもあるでしょう。しかし、全ては「外的環境」です。このような事態になったとしても、「大丈夫」です。あなたの内面には誰も立ち入ることができないのです。唯一あなた自身だけが「自分の内面に居られる」のです。

その内側の奥深いところを丁寧に観察してみましょう!そこに、再度チャレンジする「意思」があるはずです。この意志さえあれば失った何かは全て手に入ります。だからこそ、無くならないのは「チャレンジする意思」だけです。そして、これこそが誰もに与えられた別名「命」と言われるものではないかと考えます。

最後に有名なニューヨーク州立大学病院の壁の落書

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ではでは、

Enjoy your life !!

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