「自分にできることだけしかできない」この当たり前すぎる事を忘れてしまいそうな?今日この頃、もしかして、ものすごい勘違いをしているのかも?
通常 自分の身体は自分の意思にしたがって動かすことができます。例えば、自分以外の「誰かの手」を自由に動かせるとは思っていないはずです。まぁ、思い通りに動いてくれたら気持ちいいかもしれませんが(笑)
注)厳密には違うかもしれません、興味がある方はこちらの記事をお読みください「マインドタイム 脳と意識の時間」、日頃はこの本に書いてるような意識はないでしょう?
でも日頃誰かに、「何かを依頼する」「何かを伝える」「何かをお願いする」…と色々自分以外の「誰か」に協力してもらっているわけです。だから、感謝こそすれ、期待通りに(思い通り)にならない事にガッカリするのはチョット立ち止まって考えて見るほうが良いと思います。
期待するのは当然「自分ができる事」です、しかし「実行は自分ではない」のですから、「結果はどうなるかわからない」というのが現実でしょう。逆に「期待しない」のも自分にできることです。どちらも結果はどうなるかわかりません。
言葉は身体の一部
フィジカルな機能面はだれでもすぐに分かると思いますが、メンタル面はどうでしょう?
私たちは「言語」で考えます。言語なしで考えることはできません、せいぜいイメージ(ビジュアルとしての映像)を作ることぐらいでしょう。自分の「考え」を相手に伝えるのはとても難しい事だと思います。だから、プレゼンテーション(説明であったり、説得であったり、とにかく相手に何かを伝えるが目的)には工夫します。
メンタル面は「完全に自分がコントロールできる」機能です。
「何かに対して」ワクワク、ドキドキ、ハラハラ、ソワソワ、イライラ…どんな気分も自分でつくり上げる事が可能です。だとしたら、どんな気分で過ごしたいのかを「自分自身に期待できるよう」セットアップする方が好ましいはずです。
http://hirotamaki.tumblr.com/post/17656680390
「あたりまえ」を「ありがとう」と言うのが感謝
「だから、なに?」を「おめでとう」と言うのが賞賛
「もう、ダメだ」を「これからだ」と言うのが希望
「なりたいな」を「なってやる」と言うのが決意
「もういいや」を「まだ待とう」と言うのが忍耐言葉だけでも認識は変わる
嬉しくなったり、悲しくなったり、気分や感情は「言葉だけ」で変化します。だからこそ、身体の一部といえます。痒いところを掻いて気持ちよくなるのと同じように、心の「痛み」をほぐして「癒される」のは自分の言葉がそれを実行します。
誰かの言葉に救われるのは「その言葉をまるごと受けっとった時、自分の身体になる」からです。
一緒にいる人を選びましょうね!
ではでは、
Enjoy your life !!