ネットを通じて私達は初めて「他者」と出会ったんじゃないだろうか?

ブログを書き始めて5年が過ぎました。それまではあちこちの無料のブログサービスを使って書き散らかしていましたが、分裂気味なオッサンに思われるのアレだったので、統合するために5年前にMT(Movable Type)でのスタートでした。

ご挨拶です。: BLOG de KATARI (Copy)

あちこちの無料ブログを利用していたら混乱してきたので、チャレンジする意味も込めて統合します。タイトルもKATARIとして何か語りたいと思います。決してTAKARIではないのでご安心下さい。Movable Typeもできるだけオリジナル(実はカスタマイズするのも面倒だし・・・)のまま利用し、中身の充実をはかります。末永くお付き合い下さい。トラックバックやコメントは歓迎しますが、せめて「何処の誰」がわかるようにしてください。 初めましてのかたは、プロフィールなどHOME PAGEでご確認下さい。

これがその時のご挨拶です。(こちらはサーバーを変える時にコピーとして残しました)

更に以前はHTMLで毎月1本だけ記事を書いてUPしてましたが、今思えばとても手間のかかることをしていたようです。だから、最低でも月に一本は書いていこうと考えています。仕事の都合や体調などで本数にバラツキはありますが、それでも続けられるのは、お目にかかったこともない「読者の皆様」のおかげです。本当にありがとうございます。

私は仕事柄あちこち記事を読みあさります。ニュース系が多いですが、feed登録は350程度ありますから、読み切ることは不可能です、それでも毎日2時間ぐらいは「誰かの書いた記事」を読みます。「Blog を読むということ・・・自己発見か?」 がまさに私自身に当てはまります。

現在はtwitterなどのお手軽なつぶやきができるツールがあります。タイムリーな話題には向いていると思います。しかし、自分で過去のtweetを読み返したことはほとんどありません。それに比べれば、blogのような「ある程度まとまりのある文章は書いてる本人が一番読み返すのかも知れません」

Tumblrでreblogした以下の記事、

kuuの気まぐれ

ネットを通じてぼくらは初めて「他者」と出会ったんじゃないだろうか。ぼくらは始めて「あなた」じゃなくて「だれか」と出会った。

これは画期的なことだ。電話や手紙の向こうにいたのはいつも「あなた」だったし、テレビが見せてくれたのは、いつも「わたし」だった。でも、ネットワークの向こうに居るのは、「あなた」でも「わたし」でもなく「だれか」なんだ。

具体的な対象ではなく、抽象的な第三者に対してメッセージを投げることができる、こんなことができたメディアはいまだかつてない(作者と読者の関係ににていなくもないが、読者にとっては作者は「だれか」ではない)。

メールを送る瞬間や掲示板にメッセージを残すときに感じる、あのネットワーク全体にたいしてメッセージを投げているような不思議な感覚は、錯覚でも何でもない。 そう、変化したことはわかる。きっと誰にでもわかる。でもどこへ行くのかは誰も知らない。これを革命といわずして何と呼ぶよ?  (原文: ネットワークの向こう

この哲学的ともいえる短いセンテンスが実に見事だと思います。ここに書かれている「だれか」とはいったい「誰」なのか?

Facebookは「お友達」との関係がある以上「あなた」が対象になります。

Twitterは「(今の)わたし」が対象でしょう、あるいはフォローワーの「あなた」が対象です。(@**の場合は特定のあなたがいます)

もちろん、Blogは「だれか=読者の皆様」に向けて書いています(つもりです?)。しかし、もしかしたら、その読者に将来の自分が含まれて居るのではないかと最近思うようになりました。「だれか=わたし」です。だからこそ自分自身が「成長したか否か」を確認できるのかも知れません。

何かにチャレンジしたとしても成功は保証されていません、しかし、成長は確実に手に入ります。

これからもいろんな分野にチャレンジし、記事を書き続けます。

この記事を将来の自分が読んだ時「よし!イケテル!!」と思えるように・・・

5年の節目としての記事でした。

最後までご精読ありがとうございました。

宜しければまた覗いてください。

感謝 !!

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