下記の記事にインスパイアされたので少し書いておきます。
あなたが勉強したほうがいい4つの理由 – 読んだものまとめブログ
確かに勉強がしなくとも、すばらしい人生を送る方法はあるかもしれません。しかし、勉強したほうがいい理由だけは知っておいた方がいいことは間違いありません。私は勉強は『自律』するために行うのだと思います。これ以外にも理由はあると思いますので、コメントしていただければ幸いです。
とても良い記事だと思います。充分に同意できる内容です。
- 物事を理解でき楽しめる
- コントールできる
- 余裕がでる
- 得を知り、損を知る
彼?が言うように、これ以外にも理由があると思います。
私がこれまでの経験から少しだけ追記しておくと(蛇足というのかも知れませんがw)
多くの人と共感できる
話題がとても豊富になります。文系・理系(この分け方は好きではないです)を問わず、古今東西、老若男女、誰とでも楽しめるようになります。もちろん、「その時」知らないこともあるかも知れませんが、勉強する事が「癖になってる」人は「その時」に学ぶことができるでしょう。
徳を知り、尊を知る
より快適に「社会生活」することと、より善く「生きる」ことは少し違うと考えています。ゲゼルシャフトとゲマインシャフトの違いといっても良いかも知れません。社会は多くの「規制やルール、常識」によって秩序が保たれる」ように設計されています。しかし、「個人的疑問をもつ場面」もたくさんあります。その時に「折り合いをつける事が可能」になるでしょう。我慢するとか、抑圧するとかではなく、「充分に納得し了解」できると思います。
生きる事を楽しめる
これは、結果として手に入る状態かも知れませんが、「勉強をする理由」があるとすればこれ以上の理由はないでしょう。「究極の理由」です。「勉強なんかしなくたって、楽しめるじゃないか!」と反論する人は「勉強した後の自分を知らない」ので、説得力がありません。充分に勉強した人が言うなら、少しは説得力があるでしょう。しかし、残念なことに勉強した人は、「勉強したほうがいいよ」と言うでしょう。
私は知識やテクニックは生活する上で必要だと考えています。しかし、もっと大切な「何か」を会得する事は、ある程度の経験が必要だろうと思います。
日本語しか知らない学生が英語の試験を受けるとしましょう。英語を「知識」として覚える事は試験において必要です。そのために辞書を片手に勉強します。しかし、英語の試験で高得点が取れることと、「英語ができる」事は全く別物です。この例えが適切かどうか疑問ですが、
「生活する知識」「生きる知識」(今風に表現すれば”ライフハック”)を沢山知っていても、「生活すること」「生きること」とは別物でしょう?
Common sense is the collection of prejudices acquired by age eighteen.
常識とは、18歳までに身に付けた偏見のコレクションである。(アインシュタイン)
とりあえず、偏見でもいいからコレクションしておきましょう。常識が偏見だと分かるために。
こちらも関連するかな?自分に出来ること‐2 「学習に関して」
すこし、長生きしてきたオッサンのつぶやきでした。
Enjoy your life !!